プロフィール
講師 田中美智子
出身はどこ?
はじめまして、田中美智子と申します。
東京都江戸川区で生まれ育ち、結婚を機会に千葉市へ移住いたしました。
2人の息子を育て上げ子育てを卒業し、現在主人とトイプーのピーターと暮らしてます。🌻
ピアノとの出会い
私がピアノに出会ったのは祖父母の家にピアノがあったからで、一人っ子の私はいつも一人遊びでピアノも自然と遊び弾きをしていました。
イラストをみながら自作の歌詞で、即興演奏をしてました。🐣
叔母が二人いまして、上の叔母にピアノの基本をおそわりました、その叔母を「ピンピンおばちゃん」→「ピンピおばちゃん」と呼んでいました。
年中の頃、カワイ音楽教室のグループレッスンに通いオルガンをならいまして、途中から先生が独立され、わたしもお引越しでそこのお教室に通えなくなり、出張レッスンでならうことになりました。
はじめての発表会は銀座のガスホール。今もホールは現存しているなかしら?
曲目もしっかり覚えています。滝廉太郎の「荒城の月」
大人になってから母からきいたことですが、その発表会で一人交通事故でお亡くなりになられた生徒さんがいらしたそうです。
発表会の前日の出来事。
先生はプログラムを変更するのではなく、その生徒さんの順番は残し、先生が黒いドレスで追悼の気持ちをこめて演奏するはずだった曲を演奏されたそうです。多分そ演奏はご本人、ご家族にも届いていたとおもいます。
なんと素晴らしい先生に巡り合えていたのかと、今になって感動、感謝の気持ちでいっぱいです。
いじめも吹っ飛ぶピアノ
小2の時親の都合で転校、そこでいじめにあいました。
登校が嫌で憂鬱な毎日、いじめられるからいやだといっても「そのうちなおるから行きなさい」「きにしないの」
引っ越した先でピアノ個人教室へ通うことになり、はじめてピアノを本格的に習うことに。!
オルガン2年間の練習がみについていたのか、バイエルを2か月で終了、あわただしくブルグやツェルニー、ソナチネへすすみました。ピアノの発表会ではソナチネ4番でした。
そして、学校でのいじめもいつの間にかきえていました。多分バイエルを2か月で終了がきいたのでしょうか?
得意なことってだいじなんだと、大人になってからきがついました。
嫌なことがあっても、ピアノを弾いている時間は自分の世界、ホッとできる時間、癒しの時間だ。